翌日に睡眠を奪うだけで恐怖記憶が忘れ去られた

今回の実験ではまず、マウスに「音(トーン)と足にごく軽い電気刺激(フットショック)を同時に提示する」という方法で“恐怖”を学習させました。
これは「恐怖条件付け」と呼ばれ、音を聞くと「痛い思いをするかもしれない」と感じるようになる仕組みです。
電気刺激は人間の静電気程度のビリッとしたレベルなので、マウスが大きな怪我をするわけではありませんが、恐怖を覚えるには十分な強さです。
ユニークだったのは、恐怖を学習させた直後ではなく、翌日の朝から6時間だけマウスを寝かさないようにした点です。
従来の研究では「学習後、すぐに寝かさない」ことが多かったのですが、実際のトラウマ(事故や災害など)で“瞬時に”睡眠を奪うのは難しいという問題があります。
そこで研究チームはあえて時間をあけ、マウスが十分に休んだあとに睡眠を妨げてみたわけです。
睡眠を奪う方法にも工夫がありました。
ストレスが強い機械仕掛け(ケージ内を棒が自動でぐるぐる回る)ではなく、**「Gentle Stimulation(優しい刺激)」**と呼ばれる手段を使って、なるべくマウスのストレスを増やさないようにしました。
具体的には、巣材(ケージ内の寝床材料)を新しくして好奇心を刺激したり、ケージを軽く叩いたり、やわらかいブラシでそっと体をつついたりして、マウスがうとうとし始めたら目を覚まさせるという方法です。
実際、この方法で睡眠を奪ったマウスの血液を調べてもストレスホルモン(コルチコステロン)が極端には増えず、“追加のストレス要因”になりにくいことが確認されています。
6時間の睡眠剥奪が終わったあとは、改めて「音(トーン)だけ」を聞かせて反応を測定しました。
そしてマウスがどれくらい“じっと動かなくなるか(フリーズ行動)”によって恐怖の度合いを判断したところ、睡眠を奪われたマウスは奪われなかったマウスに比べてフリーズ行動が明らかに少なくなっていたのです。
これはつまり、「音=恐怖」の記憶が弱まっている可能性を示します。
さらに翌日になってもう一度テストしても、同様にフリーズ行動が減少していたことから、「ただ疲れて動けない」のではなく、実際に恐怖が薄れていると考えられます。
また、研究チームはマウスの脳を調べ、恐怖や不安の制御に深く関わる「扁桃体」などの領域で神経細胞の成長や働きを助ける**BDNF(脳由来神経栄養因子)**の量が増えていることも突き止めました。
こうした分子レベルの変化が、恐怖反応を抑える鍵かもしれないとみられています。