歌川広重筆「東海道五十三次之内日本橋」、江戸時代の視覚障がい者はたくましく生きていた
歌川広重筆「東海道五十三次之内日本橋」、江戸時代の視覚障がい者はたくましく生きていた / credit:wikimedia Commons
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【座頭市だけじゃない】江戸時代の視覚障がい者たちの意外すぎる職業 (3/3)

2025.04.20 12:00:06 Sunday

前ページ完全な実力主義であった江戸時代の視覚障がい者の世界

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ついに取り締まりの対象になった視覚障がい者の貸金業

芝居「一曲奏ひとかなで子こ宝だから曽我そが」の登場人物である桐山賢行の絵、江戸時代当時でも鳥山検校の栄枯盛衰を題材にした創作は行われており、この桐山賢行は鳥山検校をモデルとしている
芝居「一曲奏ひとかなで子こ宝だから曽我そが」の登場人物である桐山賢行の絵、江戸時代当時でも鳥山検校の栄枯盛衰を題材にした創作は行われており、この桐山賢行は鳥山検校をモデルとしている / credit:東京都立図書館

しかしこのような時代は長く続きません。

正徳二年(1712年)八月三十日、幕府は惣検校に対し官金取締令を発し、視覚障がい者による官金貸付の実態に厳しい目を向けることとなりました

短期の貸借契約、礼金・早利といった高利貸、返済の強要や公的訴訟の濫用などを取り締まり、「座頭共詰させ、不作法成仕形」に対しては速やかな逮捕を命じる厳格な措置が示されたのです。

これは、武士に対する高利負債救済の必要性に迫られ、浪人や町人の資金が仲介業に流入していた現状への対応でもありました。

さらに、鳥山検校(とりやまけんぎょう)をはじめとする視覚障がい者の高利貸しの資産家の台頭が顕著となり、高利貸しに起因する社会問題が一層深刻化していたことも理由として挙げられます。

これにより鳥山ら暴利をむさぼっていた検校は官位をはく奪された上当道座から追放され、江戸からも物理的に追放されました。

障がい者というとどの時代も歴史の陰で静かに生きていたイメージを持つ人も多いですが、江戸時代には健常者以上に目立つ活躍をした視覚障がい者も多くいたことが窺えます。

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