ヒ素に浸したパンを万能薬として食べていた

さらに近世ヨーロッパを中心に、ヒ素はその不可解な性質ゆえに、治療薬として一時代を風靡しました。
なおヒ素は先述した水銀や金と異なり、当時の人々も毒として認識しており、しばしば暗殺の道具としても使われました。
にもかかわらず、ヒ素は適量であれば人体のバランスを整え、様々な病状に対して効果があると信じられていたのです。
とりわけ皮膚によく効く薬であると考えられており、湿疹をはじめとするありとあらゆる皮膚トラブルにヒ素は使われていました。
特に18世紀末期になると、ヒ素はファウラー溶液などとして具体的な治療プロトコルに採用され、一定の効果が確認される事例も報告されたのです。
またヒ素はファウラー溶液に限らず様々な薬に使われるようになり、先述した塗り薬以外にも浣腸薬に混ぜて使われることやパンにつけてそれを食べることさえありました。
さらに19世紀中ごろのオーストリアのある村では「ヒ素を食べると忍耐力と性欲が向上し、体がたくましくなる」と信じられており、ヒ素を料理にかけて大量に食べていたという記録も残っています。
このように医療の歴史においては今では考えられないようなものが薬として使われることもありましたが、意外なことにこれらの物質は今でも細々と薬として使われていることもあるのです。
たとえば金は金ナノ粒子ががん細胞に取り込まれやすいという性質を治療に活かす方法が模索されており、ヒ素の化合物である三酸化二ヒ素は急性前骨髄球性白血病 の治療薬として現在でも多くの患者を助けています。
このように医学・薬学の世界において毒と薬の境界は今もなお曖昧ですが、パラケルススの格言をもって、この記事を締めさせていただきます。
「すべてのものは毒であり、毒でないものはない。 用量だけが毒か薬かを決める。」
量によっては毒にも薬にもなるってやつですね。