薬物リスクは才能の裏返しになり得る

今回の研究によって、「薬物を使い始めるよりも前に脳構造に違いが存在し、それが薬物使用のリスクを高めている可能性」が示されました。
これまで一般的には、「薬物を使うと脳がダメージを受け、その結果として依存症になる」という考え方が主流でしたが、この新しい研究結果は、まったく逆の方向からこの問題に光を当てています。
では、この「薬物使用を引き寄せやすい脳構造」とは、一体どんな特徴を持った脳なのでしょうか。
わかりやすく言うと、それは車で例えると「ブレーキが弱くてアクセルが強い」という特徴を持つ脳である可能性があります。
脳の中でも特に「前頭前野」という部分は、私たちの行動や感情を制御し、慎重に考えて行動するための「ブレーキ」の役割を果たしています。
ところが薬物を使い始めるリスクのある子どもたちは、この前頭前野が比較的薄く、十分に成熟していない可能性が指摘されています。
一方で、報酬や喜びを感じたり、新しいものへの好奇心を生み出したりする「アクセル」の役割を果たす脳の部位は平均よりも厚く、発達が旺盛でした。
こうした脳の特徴は、単純に「悪い」わけではありません。
なぜなら、これらの特徴は、冒険心や好奇心、創造性を豊かにすることにもつながるからです。
実際、脳全体がやや大きく複雑であることは、一般に知性や創造性と関連していると言われています。
ところがここにパラドックスが生まれます。
特に思春期という発達途中の段階では、これらの旺盛な好奇心や探究心がリスクを取り過ぎる行動や衝動的な行動につながる可能性があるのです。
また、脳の深部にある「淡蒼球」という領域も、衝動性の高さやリスク行動のコントロールの難しさと関連する可能性があり、薬物使用を始める子どもたちではこの部分も比較的大きいことがわかっています。
こうした「刺激を追い求めやすく、衝動的な行動を抑えにくい」脳の特徴は、実は本人の努力だけでどうにかできるものではありません。
私たちはこれまで、薬物を使う若者に対して「意志が弱い」「我慢が足りない」といった批判をしがちでしたが、今回の研究から見えてきたのは、そうした行動の背景には本人の意思とは関係なく、生まれつきや発達過程で形成されてきた脳の個性や特性が大きく関わっている可能性です。
もちろんこれは、薬物を使う若者が「仕方がない」と諦めるための理由ではありません。
むしろ逆です。
今回明らかになった脳の特徴は、私たちがどのように薬物依存のリスクを持つ子どもたちをサポートすべきかという方向性を示しています。
(※薬物の乱用が脳にダメージを与えるという積み重ねられてきた医学データが覆ったわけでもありません。)
例えばカナダでは、刺激追求傾向や衝動性が強い子どもたちを対象に、その特性を否定したり叱ったりするのではなく、むしろ長所として伸ばし、短所をうまくコントロールする方法を学ぶ特別なプログラムを提供しました。
その結果、数年後には薬物依存症の発症率が大幅に低下したのです。
これは、「リスク特性を叱責する」のではなく「特性を活かしつつ管理する」アプローチが薬物依存予防に有効であることを強く示すものです 。
薬物使用リスクを示す脳の個性は、見方を変えれば冒険心や創造性を育む貴重な才能とも言えます。
この新しい理解は、薬物乱用に対する私たちの取り組み方を根本的に変える可能性を秘めています。
これまでの「薬物が脳を壊す」という見方を超えて、「脳構造の違いが薬物使用リスクを生む」という新しい見方へと私たちの視点をシフトすることで、多くの若者が薬物に頼ることなく、自分らしい才能や個性を健やかに伸ばせる社会へとつながるのではないでしょうか。
これを罰する日本の薬物政策は差別的だ
世界の潮流からも逆行してる
残念だけど、欧米では早晩に薬物に依存した者に対する処罰は大幅に強化されるよ。
理由は単純。従来の薬物対策が一向に実を結んでいない(根幹に貧困があるんだけど、そこを解決するとなれば、GDPという指標を否定しなくちゃいけなくなるのよ)上に、治療や更生に多大な社会的リソースを消費するが、どの国にしても財政に余裕がないんで、踏み切るきっかけさえあれば、処罰という口実での棄民的政策が行われる可能性が高い。
米国がどれほど中国を叩こうが、別のどこかの国が米国に薬物(と、その原料)を売りまくる、という構図そのものに変化が生ずる訳もないが、結果を出さないことには無能が露呈するんで、無理矢理結果を出すために、ヤク中こそが駆除すべき対象という具合に論理をひん曲げるなんてことは現政権ならば手詰まりの挙句やりかねないし、福音主義の根幹に病的な禁欲(古くは禁酒法とか、昨今のこじらせ童貞とかね)が、横たわっているんで、「欲望に溺れた者は悪、ならば罰せねば」という論理へと帰結しかねない(*1)。
そして、禁酒法がさまざまな犯罪組織を育てたように、重罰による薬物対策は余計に薬物マーケットを肥大させ、その帰結として、薬物に関わったものはその軽重に関わらずに死刑、ってところまで行く可能性は極めて高い。
そんな訳で、ハッパくらいなら、という論理は急速に通用しなってゆきますよ。
*1 奇妙な話だけど、福音主義の祖型となったピューリタニズムには面白バグがあって、受苦(*2)としての労働が結果として富をもたらすのなら、富める者は(その手段に関わらず)聖人と見なされても論理的齟齬はない、というもので、それ故に倫理的にアレな人々であっても尊敬の対象となっちゃう。というものなんだけど、そのせいで倫理的な人々がより非倫理的な人物を支持するという謎現象が生じているのよ。
*2 鞭打ちの苦行によってキリストの受難をわが身に再現する、というキリスト教の一派があったりして、この発想はピューリタニズムに引き継がれる。この修行者で一番有名なのはラスプーチン。
コメントで*1とか*2とか補足までつける人はじめて見た
IQが高いとモラルが低いという記事と合わせると脳の数値上のスペックが高くてもそれを有意義に活かすには脳スペックは低いが生まれつき自制的な人間の手綱が必要となってしまう
多くの人間には価値があるという話になるんですかね
アクセルとブレーキの例えは分かりやすかった。
でもこれ、可能性の話で、逆に冒険心や好奇心、創造性を持っている人が依存症になりやすいか?
というと、一概には言えない。
身近な例では、アルコールに飲まれやすい人は、冒険心や好奇心、創造性を持っているか?
というと、そうでもない。
このあたり、日本と外国では異なり、日本の場合は「集合的無意識」による抑制が働いていると思う。
薬中落ち着いて
タブーとは言われるけれど、薬物依存や犯罪リスク、うつ病発症は、
家族的な遺伝であることに、間違いないですよ。
ただし、その事実をどう扱うかが、問われるのだと思います。