『振らない勇気』を科学する―打者の本当の才能とは

今回の研究から得られたもっとも大きなポイントは、「振らない勇気」つまり選球眼が、打者の成績にとって意外なほど重要だということが科学的に関連づけて示された点です。
一見、野球というスポーツではホームランやヒットを打つことが最も評価されやすいです。
ところが、研究チームは今回、VR技術という新しい手法を使って、打者が投球を見極める能力を具体的な数値で評価しました。
その結果、選球眼の優れた選手ほど、実際の試合で塁に出る割合(出塁率)やフォアボールを獲得する割合(四球率)が高い傾向を示しました。
ただし、ここで興味深いのは、選球眼が優れていても打率(ヒットを打つ割合)や長打率(塁打を多く獲得する割合)といった他の成績指標には明確な関係は見られませんでした。
これは一体何を意味するのでしょうか?
簡単にいえば、「ボールを見る力」と「ボールを打つ力」は必ずしも一致しないということです。
選球眼が優れているからといって、それだけでどんなボールでもヒットにできるわけではありません。
実際にヒットを打つには、見極めたボールを正しく打ち返すバットコントロールやスイングスピードなど、別の技術が必要になります。
つまり、選球能力というのは、野球のパフォーマンスを支える複数の能力のうちの「1つの歯車」に過ぎないということです。
そして、今回の研究はさらに重要な発見を示しました。
それは選球能力だけでなく、「脳の処理能力(空間的な認知能力)」も打者の成績に関係していることです。
しかも、この2つの能力は互いに直接影響を与えているわけではなく、それぞれが独立して、特に四球率に対して打者の成績に関連していることが分かりました。
わかりやすくいえば、投球を見極める「目の力」と、状況を瞬時に判断して対応する「頭の力」は、車の両輪のように、別々に機能しながら打者を支えている可能性があるのです。
これは、野球の世界で指導者や選手が感じてきた「見極める力」と「反応の速さ」の重要性を、科学が改めて裏づけた形ともいえるでしょう。
こうした成果は、今後の野球指導やトレーニング法を大きく変える可能性を持っています。
従来は、選球眼というのは「経験」や「感覚」によるものと考えられ、科学的なトレーニング方法も確立していませんでした。
しかし、今回のVR技術を活用した研究成果を応用すれば、選球眼をより科学的に評価し、効率的に鍛える方法を開発できる可能性があると考えられます。
たとえば、選手が試合のない日にも、VRでリアルな投球シーンを繰り返し経験し、ボールの見極めを練習できるようになるなど、将来的な展開も期待されます。
一方で、この研究には明確な限界もあります。
対象となった選手は14人と少数で、全員が大学野球の男子選手でした。
そのため、プロの選手や高校生、女性の選手にも同じ結果が当てはまるかは、まだ分かりません。
今後は、より多くの選手を対象にした研究や、実際にVRを使ったトレーニング効果を直接調べる研究が求められます。
それでも今回の研究が持つ意義は大きいです。
これまで「経験」や「感覚」の世界だった選球眼が、VRを使うことでより客観的な数値として可視化されたことは、野球科学の新しい一歩です。
今後、VR技術が野球の現場で積極的に活用され、選球眼というこれまで見えなかった能力が、誰でも理解できる科学的なスキルとして定着する日が来るかもしれません。