当時の中央集権化を暗示
マイダネツィケで発見された巨大建造物は、屋根つきのセクションと、その場所よりも少し大きな、塀で囲まれた吹き抜けの中庭で構成されています。塀は木片を土で固めて作られており、塀で囲まれた場所には暖炉の形跡もありました。
また、建造物の中には壺や台所用品を含む陶器類が散らばっていました。暖炉の近くには骨が見つかっており、それらは建造物が廃墟と化す前の最後の食事であったことが考えられます。
研究者たちは巨大建造物の位置をマッピングすることで、それらが計画的に配置されていることに気がつきました。およそ等間隔で比較的小さなものが並んでおり、中でも特に大きなものが集落の中心に位置していたのです。
こうすることで、彼らは社会階層の違いによって集まる場所を分けて使用していたのかもしれません。
しかし、時が経つにつれて比較的小さなものは使われなくなり、最も大きなものだけが利用されるようになりました。この変化が、当時の中央集権化についてのヒントを与えてくれると考えられます。
低い階層の人々が集会をしなくなったということは、そうした人々がコミュニティの統治に関与することがなくなっていったことを意味します。そして、これが究極的にトリポリエ文化の衰退につながっていった可能性があるのです。
現在研究者たちは、こうした巨大建造物が、地域によってそれぞれ具体的に日常の中でどのような使われ方をしてきたのか、その違いについての調査を進めています。
一つの文明の繁栄と衰退が、現代文明の未来を示唆していることも多くあります。今後研究が進むことで、現代にもより多くのヒントが得られることが期待できます。