なぜ中国では暦算術が発展したか
太初暦はその後、紀元後85年の後漢第3代皇帝・章帝の時代、四分暦に改暦されるまでの188年間にわたって用いられました。
実は、太初暦が制定された当時から、中国の五人々は太初暦を完璧な暦法ではないと気づいており、より正確な暦法の考案が急がれていたようです。
ちなみに、太初暦の1年は365.25016日とされており、現在値である365.24220日と比べると誤差はたったの0.00796日でした。
これほど小さな誤差に気づいていたというのですから、当時の中国の人々の数値処理能力は侮れません。
しかし、なぜ、中国の人々はこれほどまでにより正確な暦法を追い求めたのでしょうか。
その答えは、中国が古来より信仰していた天人合一思想に求められそうです。
人々は星の運行を見ることで季節の移り変わりを推察し、それに応じて農耕を営んできました。このことから、人々は星がある世界、すなわち天と人が住む世界とは対応していると考えるようになり、いつしか天を読むことで季節の移り変わりのみならず、人の世の移り変わりもわかるようになるのではないかと考えるようになっていったのです。
その当時の中国の為政者たちにとって我が世の行く末は大きな関心事でしたから、天を読んで我が世の行く末を読み解くことは重大事項でした。
為政者たちは正確な暦法を定めることで未来を正確に把握し、避けるべき未来は避け、引き寄せるべき未来は引き寄せたいと願ったのです。