歴史家タキトゥスの文書に謎の答えが
ヴィンデビーIは、目元のバンドと首回りに着衣が見られるだけで、他に副葬品はありませんでした。
目を隠すように巻かれたバンドは、死後に目を隠す習慣があったか、あるいは頭髪を束ねるためのものと考えられています。
後者が正解なら、遺体が時間経過とともに収縮したことで頭のバンドがずれ、目元に落ちてきたのでしょう。
また、ヴィンデビーIのすぐ近くで、別の湿地遺体(ヴィンデビーⅡ)も出土しています。この遺体は明確に中年男性と判明しており、ハシバミの枝で首が絞められ、杭の上に安置されていました。
しかし、ヴィンデビーIとの関係や身元も不明のままです。
その一方で、考古学者たちは、この謎の答えが古代ローマの歴史家タキトゥス(55〜120頃)の文書に隠されているといいます。
タキトゥスの著述によれば、当時、ライン川の北部に住んでいたゲルマン民族には、悪行に手を染めた者を処刑する慣習があり、遺体を杭で湿地帯に打ち込んでいたというのです。
この証言は、地理的・時代的にもヴィンデビーIに当てはまります。
これを受けて専門家たちは、2つの遺体を不倫か何かの罪で処刑されたカップルだと考えました。しかし、ヴィンデビーIが遺伝的に男性であることや2つの生存年代が異なることで否定されています。