無意識の処理は継続的であり、意識は離散的である
意識が継続的でないなら、定期的に訪れる無意識によって大事故が頻発するように思えます。
研究チームはこの点も考慮した上で、新しい「意識の2段階モデル」を提案しました。
ヘルツォーク氏が行った実験と観察によると、「意識的な知覚の前に、無意識の処理期間が長く続いている」とのこと。
つまり、「情報は無意識下で継続的に処理され、処理された情報を離散的に意識する」のです。
このモデルを理解するために、ヘルツォーク氏は自転車の例を挙げています。
自転車から急に転落してしまうときには、無意識に受け身を取ろうとするものです。
つまり意識が離散的だからといって、無意識の間に情報が処理されていないわけではないのです。
また、意識と無意識の間隔は一定ではありません。
自転車を漕いでいる時、人は毎秒「あと1m漕げ」と自分に言い聞かせることはないでしょう。無意識のうちに身体を動かしているはずです。
しかし、ある景色が目に映るとそのタイミングで意識し「ここを曲がれ」という指示を身体に出します。
脳は絶えず情報を取り入れ処理しているものの、すべてを意識させているわけではなく、必要なタイミングだけ指示を出しているのです。
確かに「無意識の処理は継続的であり、意識は離散的」に思えますね。
ヘルツォーク氏らの答えは1500年間にわたる「意識は継続的か?それとも離散的か?」という疑問を解決しているように思えます。
またこのモデルが真実であるなら、人と同じ感覚をつくるためには、「処理する情報すべてを意識へと翻訳する必要はない」ことになります。この知識は様々な分野に適応できるかもしれません。
ところで、今回の新しい2段階モデルは「必要な意識とは何か?」「無意識では何ができるのか?」などの新たな疑問を生み出すものであり、ヘルツォーク氏も「それらの疑問についてまだ考慮していません」と述べています。