人類初の核爆発 トリニティ実験
トリニティ実験とは、マンハッタン計画の仕上げとして実施された人類初の核実験で、1945年米国内にあるトリニティサイトと呼ばれる場所で実施されました。
このとき実験に使われたのは、日本の長崎に投下された通称「ファットマン」と同型の爆弾でした。
この実験の数週間後、完成した核爆弾は広島・長崎に投下されることになります。
爆発の規模については、研究者たちも正確に予測できておらず、何起こらない不発に終わると予測するものから、地球全体が焼き尽くされると予測するものまでありました。
もちろん、地球規模の被害は事前に否定されていましたが、実験に参加していた論理物理学者のエドワード・テラーは、爆発を見て「こんなもんか」と落胆したともいわれています。
トリニティ実験を映したフィルム/Credit: U.S. Department of Energy,en.wikipedia
テラーは落胆したようですが、この核爆発は実験場にあったさまざまなものを溶かし蒸発させ融合させました。
実験場の砂漠の砂は溶けて、トリニタイトと呼ばれる薄い緑色のガラス状の物質となって地面を覆いました。
しかし、ここで形成されたトリニタイトは1種類ではありませんでした。
核爆発で溶けたのは、砂漠の砂だけではなく、爆弾の乗せられていた鉄塔、張り巡らされていた銅線も同様でした。
それらがすべて溶け合って融合した赤いトリニタイトもあるのです。
今回の発見された未知の物質は、その赤いトリニタイトのサンプルに含まれていました。
このサンプルの中の、直径わずか10マイクロメートルの粒子の中に、二十面体準結晶という異常な構造が形成されていたのです。
準結晶という言葉に聞き覚えのない人も多いかもしれませんが、これは世界中の学者たちを驚かせた高次元構造の結晶なのです。