ベートーヴェンにまつわるミステリー
ベートーヴェンはなぜ若くして重い難聴を患うことになってしまったのでしょうか?
ここには諸説ありますが、正確なところは不明のままです。
その理由は、ベートーヴェンが難聴以外にも非常に多くの病気を抱えていたためです。
彼は炎症性腸疾患を患っていて、これらを原因とした慢性的な腹痛や下痢にずっと悩まされていました。
また、うつ病、アルコール依存症、呼吸障害、関節痛、目の炎症、肝硬変の患者でもありました。
特に彼の死因については、過度の飲酒が原因だったと考えられていて、検死では重度の肝硬変以外にも、腎臓や脾臓など多くの内臓に損傷が見つかったといわれています。
すでに過去の時代の人のため、現代において彼の死因や、難聴の原因を捜査することは容易なことではありません。
しかし、幸運なことにベートーヴェンの死後、当時の一般的な習慣として、音楽家のフェルディナント・ヒラーが亡くなったベートーヴェンの毛髪を記念品として一房切り取って保管していました。
その後、ベートーヴェンの毛髪は1世紀近くの時を経て、デンマークの医師ケイ・フレミングの手に渡り、さらにその娘に譲られます。
記録では、フレミングの娘は、1994年に582本のベートーヴェンの毛髪をオークションに出品し、これを7,000ドルで米アリゾナ州の泌尿器科医アルフレド・ゲバラが落札します。
ゲバラは数本の髪を保管し、残りをカリフォルニア州サンノゼ州立大学のアイラ・F・ブリリアント:ベートーヴェン研究センター(the Ira F. Brilliant Center for Beethoven Studies)に寄付しました。
こうした長い経緯で、ベートーヴェンの毛髪は、現代においてDNA検査をはじめとしたさまざまな調査にかけられることになったのです。
この検査の結果明らかとなったのが、ベートーヴェンの毛髪から確認された異常に高いレベルの鉛でした。
鉛は聴覚や精神状態に悪影響を与える有毒な重金属として現代では知られています。
しかしベートーヴェンの時代、鉛の危険性は知られていませんでした。
そのため、人々は鉛でできた食器で食事をし、鉛のゴブレットでワインを飲んでいました。
さらに、ベートーヴェンが好んだ当時のワインは、甘味料として鉛(酢酸塩)を使っていることがよくありました。
そのため、ベートーヴェンの不安定な精神状態や、難聴の原因は、鉛中毒だった可能性が考えられるのです。
ただ、これも一説にに過ぎません。
ベートーヴェンは40歳の頃には完全に聴力を失い、全聾の状態になっていて、訪ねてくる人物とは筆談で会話していたといわれています。
日本でも年末によく演奏される、彼の代表作「交響曲第9番」は、そんな完全に聴力を失った晩年の作品です。
この曲が初めて演奏されたとき、指揮棒を振ったベートーヴェンは、演奏後に聴衆の大喝采にまるで気づかず楽譜をめくっていたため、そばにいたアルト歌手が彼を聴衆の方へ振り向かせて、そこで初めて自分が喝采を受けていることに気がついたといわれています。
しかし、こうしたベートーヴェンの極度に悪化した難聴については矛盾があります。
前項でベートーヴェンの難聴は耳硬化症だったという説を紹介しましたが、耳硬化症では全聾になるまで悪化することはないといわれています。
鉛中毒による難聴も同様で、全聾になるほど悪化はしません。
では彼の難聴はまったく別の理由だったのでしょうか?
これについては、逆に実はベートーヴェンは全聾にはなっていなかったという説も存在します。
実はベートーヴェンは、当時の政権に反乱分子と見られていたという話があり、晩年は筆談で話していたという事実も、全聾が理由ではなく盗聴を防止するためだった可能性が指摘されています。
ここからベートーヴェンは秘密諜報員だったという新たな説も生まれていて、諜報員としてベートーヴェンを描いた本なども発売されています。
ベートーヴェンは生涯で60回以上もの引越しを繰り返す異常な引越し魔だったという記録もありますが、もしかしたらそうした事実も新しい説と関連するのかもしれません。
ベートーヴェンの難聴と、その生涯には未だに多くの謎が残されているのです。
なんにせよ、ベートーヴェンが音楽家でありながら難聴に苦しめられ、その運命に必死にあらがいながら数々の名曲を生み出してきたのは事実です。
骨伝導の原理を駆使してでも、不自由な耳で作曲を続けた、波乱に満ちたベートーヴェンの人生を想いながら聞くと、彼の名曲の数々も違った味わいに聞こえてくるかもしれません。