原子1つを操作した化学反応
今回の研究は、たった1つの原子を精密に制御することで、その影響で分子の結合が切断される様子の撮影や、その特性や強度を調べることに成功しています。
実験では原子間力顕微鏡という特殊な顕微鏡が使用されました。
これはプローブ(探針)と呼ばれるいわゆる針の先端を、常に物質の表面と一定距離を保つように制御しながらなぞり、非常に微小な表面の形状を画像化するという技術です。
今回のプリンストン大学の研究は、この探針の先端に銅原子を取り付け、徐々に鉄-炭素結合に近づけていき、原子1つの影響で化学反応を起こし、この結合を切断したのだといいます。
実験に使用された炭素と鉄の結合は、「一酸化炭素分子(CO)」と「鉄フタロシアニン(FePc)」と呼ばれるものが使用されました。
鉄フタロシアニンとは、顔料や触媒として使用されるもので、窒素と炭素の環がつながった複合体の中心に1個の鉄原子があるという構造の分子です。
そして、この分子は鉄原子から左右対称に十字架のような構造でつながっています。
CO-FePcでは、鉄原子が一酸化炭素の炭素と、1つの電子を共有する「配位結合 (Dative bond)」と呼ばれる化学結合を形成しています。
そして研究チームは、原子間力顕微鏡の探針を使って、結合分子と探針の距離を5ピコメートル(50億分の1ミリメートル)単位で精密に制御して、鉄と炭素の結合を切断したのだといいます。
破断は、探針の先端が分子の30ピコメートル上にあるとき発生しました。
この距離は、炭素原子の幅の約6分の1に相当する非常に短いものです。
下の画像はその瞬間を捉えたもので、左が結合の切断前、右が切断直後です。
原子間力顕微鏡にはっきり映っていた鉄原子の画像がぼやけていることから、化学結合の破断がこの瞬間に起きたことを示しています。
今回研究チームが使用したのは、非接触型AFMと呼ばれるタイプの原子間力顕微鏡で、これは探針の先端が直接分子に触れずに、微細な振動の周波数を拾うことで画像を構築しています。
今回の研究は、この周波数の変化を拾うことで、結合を切断したときに必要となった力を計算することができたとのこと。
その数値は、銅原子を探針の先端につけた場合、150pN(ピコニュートン)の吸引力で鉄と炭素の結合が切れたといいます。
そして、探針の先端に一酸化炭素分子を取り付けた場合、220ピコニュートンの反発力で結合が切れたそうです。
2つの異なる原子を操作して結合を切断した今回の研究は、「原子操作による結合切断の理解と制御の向上」に貢献しています。
今回の研究はわずかな原子の運動や影響が、結果に大きく影響するため、温度4ケルビン(約-269℃)という低温に加え、高真空の環境に装置を設置して行われました。
それだけ精密な測定だったのです。
原子間力顕微鏡の探針の先端に原子を取り付け、それを操作して化学反応を起こすというのは、この分野において非常に大きな挑戦です。
私たちには見えない世界、けれど確実にそこにある世界への理解は、着実に進展しつつあるようです。