6000年前のリビア人は「スイカの種」が目的で食べていた
これまでのところ、スイカの原産地がアフリカにあることは、専門家の間で同意が得られています。
その一方で、野生種がいつ、どこで栽培化され始め、甘い果肉を持つスイカが誕生するに至ったのかはわかっていません。
しかし少なくとも、今回見つかった約6000年前のスイカの種子は、苦い果肉をつけていたことがわかりました。
この種子は、リビアのサハラ砂漠にある「ウアン・ムフギアグ(Uan Muhuggiag)」という遺跡で発見されており、スイカの近縁種の種子としては、これまで見つかっているものの中で最古です。
研究チームは、スイカの栽培化の道を探る調査の一環として、この約6000年前のリビアの種子と、過去にスーダンで見つかった約3300年前のスイカの近縁種の種子、さらには、英キュー王立植物園に保管されているスイカと、その近縁種のサンプル(1824年〜2019年にかけて採集されたコレクション)を集めて、調査を開始。
これらのゲノム配列を作成し、合計131個のデータを解析しました。
その結果、約6000年前のリビアの種子は、栽培化された甘いスイカではなく、今日では西アフリカを原産とする「エグシメロン(egusi melon)」という、スイカの近縁種であることが判明しました。
エグシメロンは、果肉ではなく、種子が目的で採取され、今日でも地元民は、エグシメロンの種を自然乾燥させたり、ローストしたり、スープやシチューに入れて食べています。
また、約6000年前のリビアの種子は、そのゲノムデータから、緑がかった白色の苦くて固い果肉をつけていたことが示されました。
このことから、当時のリビア人は、果肉のためではなく、種子を得るために初期のスイカを採取していたと考えられます。
これは、リビアの種子に人の歯によって付けられた損傷パターンが見られることからも納得の説明です。
研究主任のスザンヌ・レナー(Susanne Renner)氏は、こう述べています。
「スイカは、野生種も栽培種も、油分の豊富に含まれた種を持っています。
また、エグシメロンの種には、果肉と違って、ククルビタシンという苦味物質(スイカを含むウリ科植物に含まれる)がありません。
簡単に手に入る栄養価の高い種子を間食することは、当時のリビア人にとって有益なことだったのでしょう」
スイカの栽培はいつ始まったのか?
それでもスイカ栽培の正確な起源については、まだ議論に決着がついていません。
現状わかっている最古の例は、約4000年前の古代エジプトでのスイカ栽培です。
栽培スイカの原種としては、先のエグシメロンやアフリカン南部のシトロンメロンが有力視されていますが、確たる証拠は見つかっていません。
しかし古代エジプト人は、涼しい場所に置いておけば、かなりの期間保存が効くこと、水分を貯蔵するのに有用であることなど、スイカの様々な利点に気づいたようです。
こうしてスイカの収穫を始めたエジプト人は「どうせ食べるなら、味を美味しくしたい」と考えたのでしょう。
品種改良を重ねる中で、徐々に甘味のあるスイカが生まれたと思われます。
その証拠に、当時の壁画には、そのまま大皿に盛られたスイカが描かれており、生でも甘くて柔らかいスイカが食べられたようです。
いずれにせよ、今日私たちが、真夏に甘くて美味しいスイカを食べられるのは、こうした古代人の努力があったからなのです。