盲目を「神からの贈り物」と考える
先天性白内障は生後すぐ、もしくは症状が出てすぐに手術を施すことで治療することが可能です。
しかし、辺境の村ダリ・ギンバでは、その取り組みが進んでおらず、多くの子供の先天性白内障は放置されたままです。
ダリ・キンバ村に関する特定の記事では、この村の貧困と孤立が強調されており、「政府が部族を助けようとしていないことに人々がショックを受けている」と論じています。
しかし、現地の人々と実際に交流をもったサキブ・A・ウスマン氏の論文では、そのような記事が誤解を招くものだと述べています。
彼によると、「政府の助けがないことを、失明が広がっている根本原因だと主張する村人は、ほんの少数だった」ようです。
むしろ、ほとんどの村人は、失明を治療しようとする政府の介入に抵抗したようです。
なぜでしょうか。
それは、盲目が神からの贈り物だという考えが根付いているからです。
言い伝えでは、昔、神がある村人に「いずれ徳が高く盲目の子供が生まれるだろう。そして、その子孫は盲目になる」というお告げを与えたのだとか。
信心深い村人たちにとって、盲目は神から与えられ、受け継がれてきたものだったのです。
また、村で生活する盲人は、地下に眠る水源を見つける奇跡の力を持つとされています。
そして実際、彼らはこれまでに多くの井戸を掘りあて、人々の生活を支えてきたようです。
科学的には、視覚が失われることで触覚や聴覚が補完的に発達することが多いと分かっています。
そのため水源を見つける能力には、こうした要素が関係しているのかもしれません。
「失明することで高まる他の能力」と「言い伝え」が、治療の受け入れを難しくさせているのです。
ウスマン氏の論文は、グローバルな医療介入が、必ずしも地元文化や価値観に適合するわけではないという教訓を示しています。
サハラ砂漠の盲目の部族たちは、今後も先天盲を抱えながら、たくましく生きていくのでしょう。