盲目を「神からの贈り物」と考える

先天性白内障は生後すぐ、もしくは症状が出てすぐに手術を施すことで治療することが可能です。
しかし、辺境の村ダリ・ギンバでは、その取り組みが進んでおらず、多くの子供の先天性白内障は放置されたままです。
ダリ・キンバ村に関する特定の記事では、この村の貧困と孤立が強調されており、「政府が部族を助けようとしていないことに人々がショックを受けている」と論じています。
しかし、現地の人々と実際に交流をもったサキブ・A・ウスマン氏の論文では、そのような記事が誤解を招くものだと述べています。
彼によると、「政府の助けがないことを、失明が広がっている根本原因だと主張する村人は、ほんの少数だった」ようです。
むしろ、ほとんどの村人は、失明を治療しようとする政府の介入に抵抗したようです。
なぜでしょうか。
それは、盲目が神からの贈り物だという考えが根付いているからです。
言い伝えでは、昔、神がある村人に「いずれ徳が高く盲目の子供が生まれるだろう。そして、その子孫は盲目になる」というお告げを与えたのだとか。
信心深い村人たちにとって、盲目は神から与えられ、受け継がれてきたものだったのです。

また、村で生活する盲人は、地下に眠る水源を見つける奇跡の力を持つとされています。
そして実際、彼らはこれまでに多くの井戸を掘りあて、人々の生活を支えてきたようです。
科学的には、視覚が失われることで触覚や聴覚が補完的に発達することが多いと分かっています。
そのため水源を見つける能力には、こうした要素が関係しているのかもしれません。
「失明することで高まる他の能力」と「言い伝え」が、治療の受け入れを難しくさせているのです。
ウスマン氏の論文は、グローバルな医療介入が、必ずしも地元文化や価値観に適合するわけではないという教訓を示しています。
サハラ砂漠の盲目の部族たちは、今後も先天盲を抱えながら、たくましく生きていくのでしょう。
メリットが井戸ぐらいしかなくね?
『砂漠』で生きてる以上、『井戸』(水脈)を探り当てる能力は非常に尊ばれる。それ、他と比べようもないほど貴重な特殊能力ですよ〜っ。
盲目が当たり前のコミュニティでは盲目は障害でもデメリットでもないのでしょうね。
広い砂漠の中で井戸を見つけ出す。
奇跡ですね。
砂漠で水源を探知
他の砂漠でも、白旗発揮すんのかね?
大切なのは彼らがそれを受け入れていること。盲目を含んだコミュニティ、発展、進化。それを何の罪もなく知ることができるなんて、違いって素晴らしい。
村人の真意にクレジットが足りない。
集団の意思なしの真意を。
コンクルージョンにはこの記事だけでは足りない。
まあ、実際は、誰かが、そう言って、納得させたのだろうが、孤立してい流と言うことで、近親相姦が続いていたのかな? 他の病気はないようなのでそれほどきつい物では無く、少し血が濃い程度だから失明のみで済んでいるのかな?
美談にしがちだけど、本来適切な処置をすれば見える物を神のせいにして、断り続けるのは、何か間違っている気がする。
絶体、誰かが、神のせいにしてしまえば問題なしだ、と思いついた、過去のとんでもない悪意に満ちた話しを、神のギフトにすり替えてしまったとんでもない話しだと思う。
もう何世代も神のギフトとして生活してきているので、彼らにとってはギフトというのは正しいのだろうけれど、美談で済まして良い問題では無いとは思う。
まあ、修正不能なところまできているので、このまま美談として受け継いでいくしかないだろうけれど。
、、、打ち過ぎてて内容全然入ってこないwww
凄く驚いた。先天的、ということは遺伝的原因ということでしょうか。とすれば、盲目は神様からの贈り物という信仰が、盲目の遺伝子を増やすバイアスをこの集団にかけたということでしょうか。この言葉により婚姻が有利だとか?
信仰の自由は保証されるべきでしょうが、なかなか難しい問題をはらんでいると思いました。
記事のライターや元ネタになった研究者の思想には、文化相対主義者の偽善性と嫌悪感しか感じない
百歩譲って、大人が支援や治療を拒絶するのは各人の自由意志で是とするとしても、現在・将来の子供に対して治療や予防を拒絶することは文化伝統信仰だから認めるべき・称賛すべき事なのか?
自分には積極か消極かの違いだけで、例えばアフリカの一部に慣習として未だある幼児婚や女性器切除、あるいは先進国で子供への医療や教育を拒絶する宗教と同類にしか思えないんだけどな