まとめ:いじめ行動と人間社会のこれから

いじめとは何か――生物学的な観点から考察してきましたが、それは人間の進化の遺産とも言うべき複雑な現象であることが見えてきます。
いじめ行動には進化上の理由があり、動物界にも広く存在する自然な一面を持ちます。
しかし「自然であること」と「許されること」は別問題です。
人間は進化の中で、攻撃性や序列競争心だけでなく協調性や共感能力も発達させてきました。
むしろ他者と協力し思いやる能力こそが、人類がここまで繁栄できた大きな要因です。
現代社会においていじめがミスマッチを起こしているのだとすれば、私たちは進化のポジティブな遺産(協調・公平・博愛の精神)を活かしてこの問題に対処していくべきでしょう。
科学的にいじめの起源やメカニズムを理解することは、決していじめを正当化するためではありません。
むしろその深い根を知ることで、より効果的な解決策を見出す助けになります。
例えば、いじめが起こりやすい状況(序列が固定し競争が激化する環境、閉鎖的な集団内のストレスなど)を把握し、環境を改善することができます。
また、いじめ加害者が満たそうとしている承認欲求や競争心を、スポーツや創造的活動など建設的な形で発散できる場を用意することも有効でしょう。
被害者だけでなく傍観者も巻き込んだ集団全体のアプローチ(いじめを許さない規範づくりや報告しやすい体制づくり)も大切です。
人類は環境を変え、自らの行動様式を変えていける柔軟さを持っています。
いじめの問題は根深く簡単には無くならないかもしれません。
しかし、私たちがその起源と理由を正しく理解し、進化の中で培われた「いじめに打ち克つ力」を発揮できれば、いじめのない社会に一歩ずつ近づいていけるはずです。
進化の視点から見た「いじめとは何なのか」という問いへの答えは、人間とは何者であるのかを考えるヒントにもなるでしょう。
長い歴史の中で形作られた影の側面を乗り越え、より良い未来を築くために──科学の知見を活かしていじめに立ち向かっていきたいものです。
基本的にはいい記事だと思うんだけど、ナゾロジーもずいぶん科学を離れて執筆者の価値観を押し出してくる記事が増えたな、という感想。
この方ではないけど、先日は相関関係と因果関係の違いについて理解してないと思われる執筆者もでてきたし。ライターさん増えるのはいいけど、科学記事としての質を確保したままいられるか注視せざるをえない。
でもいじめっ子のほうが成功してるという研究もありますしね。
いじめられっ子で成功してる人はマイク・タイソンしか知りませんよ、私は。
上級の日本国民イジメはなくならないでしょう。
日本人は暴動起こさないし上級は偽善者だがマスコミを操り現実社会では正義だ。
基本的な倫理観と理性を持って他者への思いやりを忘れず、自分の攻撃性を制し続ける事こそ人間にしかできない最も人間らしい行動なんじゃないかな。
その通りなんだけど人間全員がそんな高等で頭良い人な訳ではないからな
ミスマッチがデスマッチに見えた
いじめをナッシュ均衡で説明するのは面白かった。他の話は全て知ってたけど良い復習になった、イタリア人在日精神科医バントーフランチェスコは欧米人から見て日本にはスクールカーストがあること自体が奇怪だが(権威的なアジア諸国では恐らくどの国にもある筈だが彼は欧米以外では日本社会にしか詳しくない)、日本は集団内の地位を高める要素として他国と比べてコミュ力依存度が強いと言う。記事内にある「スポーツで承認欲を発散させろ」はこれも精神科医の故岡本茂樹が肯定しているが商業スポーツも巨悪になり易く問題の先延ばしであり良い方法とは思わない。在米心理カウンセラー吉川史絵はカリフォルニアではいじめっ子を強制隔離したり強制的にカウンセリング受けさせたり、不登校生徒がいれば監督不行き届きとして親も罰したりすると言い、日本もそういう風に行政の介入権利を強めるべきだと主張してるけど、彼女もやはりアメリカと日本の二か国の社会しか知らなくてやや説得力に欠ける。カリアォルニアで行政介入力が強いのは治安が悪いからその芽を摘み取ろうと言う理由だけど、俺に言わせればまず貧富格差を無くせよと。日本は今でさえ児相がろくに機能してなかったりとお上や学校が皆で結託して権威側の誰もいじめられっ子の味方になろうとしてない。お上同士の癒着を全国規模で断ち切るのには人類学的には何百年もかかります。短期的に成功させるには荒療治としてシャッフル、リセットしかない。一年一学期はいじめがあまり存在しないけど三年にもなったらほぼカースト固定されてて権利的社会流動性がゼロに等しい、だったら常に一年一学期状態を保てばいい。頻繁な席替えクラス替え転校です。地域社会なら一世代ごとの強制引越し。そして非現実的だから無理。可能なのはせいぜい席替えだけ。