大脳・中脳・後脳の間で協調的な信号が飛び交っている

では、研究者たちはどのようにして多領域脳オルガノイドを作り上げたのでしょうか?
研究チームはまず、人間の大脳・中脳・後脳にそれぞれ相当するミニ脳組織と、脳の血管に相当するオルガノイドを別々に培養しました。
大脳オルガノイドと中脳・後脳オルガノイドは、ヒトの人工多能性幹細胞(iPS細胞)から脳の各領域に分化させて作製します。
同時に、血管オルガノイドも作りました。
従来は主にヒト臍帯静脈内皮細胞(HUVECs)という単一種類の細胞に依存していましたが、今回は血管内皮の前駆細胞、成熟した血管細胞、周皮細胞(血管を支える細胞)など様々な細胞タイプを含む複雑な血管オルガノイドを用意しました。
こうして出来上がった3種類の脳オルガノイド(大脳、中脳・後脳)と1種類の血管オルガノイド、合計4つのミニ組織を、「生体の接着剤」とも言える特殊なたんぱく質でひとつに合体させたのです。
研究者たちはこの手法を「バイオ接着による脳組織の組み立て」と表現しています。
培養を続けると各オルガノイド同士がしっかり融合し、境界をまたいで神経細胞同士がつながりました。
やがて融合ミニ脳全体で電気的な活動(神経信号)が記録されるようになり、異なる部位がネットワークとして応答する様子が観察されました。
このような活動は単一領域モデルでは見られないような、より複雑で同期的なネットワーク活動が見られないものであり、研究者たちは、複数領域が機能的に繋がって協働している証拠であると考えています。
また融合した全脳ミニ脳を詳細に解析したところ、いくつもの興味深い発見がありました。
まず、このオルガノイドにはヒト胎児の初期発達段階で見られる細胞タイプの約80%が揃っていることが分かりました。
言い換えれば、胎児の脳に存在する多様な神経細胞のほとんどがミニ脳内で再現されていたのです(残り20%は高度に分化した細胞など一部再現できないものもありますが、それでも画期的な多様性です)。
実際、このミニ脳は発生学でいう胎児40日齢ほどの脳に相当し、発達途中のニューロンやグリア細胞が多数確認されました。
サイズ自体は直径数mm程度で、含まれるニューロンの数は約600万~700万個と推定されています。
これは成人の脳(数百億個)と比べると圧倒的に少なく極小ですが、逆に言えば数百万もの神経細胞が互いに通信し合う「ミニ脳回路」がシャーレの中に存在していることになります。
加えて、脳を取り囲んで物質の出入りを制限する血液脳関門と呼ばれる脳のバリア機能の初期的な形成も、オルガノイド内で確認されました。
これは脳の血管が単に栄養を運ぶだけでなく、選択的なバリアを作っている証拠で、本物の脳に近い機能です。
さらに最も注目すべきは、脳と血管の相互作用により、これまでの単独のオルガノイドでは見られなかった新たな現象も明らかになりました。
それは、血管の細胞が後脳(脳幹や小脳に相当する領域)の発達を強力に支えているという発見です。
研究チームが詳細に解析したところ、後脳の中間的な神経細胞(将来ニューロンになる「前駆細胞」)は、血管成分を含むオルガノイドでのみ多く維持されていました。
つまり血管から放出される物質が後脳の未熟な細胞を育て、生存を助けていたのです。
一方で、大脳(前脳)の発達には血管細胞の存在はそれほど重要ではなく、血管なしでもほぼ正常に大脳組織が成長できることもわかりました。
このように、全脳オルガノイドの解析から血管と神経の新たな“会話”の存在が明らかになり、実際に13種類ものこれまで知られていなかったシグナル伝達のやり取りが検出されています。
これは脳の発生過程を理解する上で重要な知見であり、従来の単一オルガノイドでは発見できなかった現象です。