鼻の穴が3割広く、切り口は丸く治っていた

2018年、三門峡市で専門学校の新しいキャンパスを建てる前の調査が行われ、地下から299基の墓が見つかりました。
工事を待たせるわけにはいきません。
発掘は2019年3月から12月にかけて駆け足で進められ、掘り出された骨は鄭州大学へ運ばれました。
その骨を調べていた同大学の考古学者で、論文の筆頭著者である周亜威氏は、M318と番号のついた頭蓋骨の、顔の真ん中に目を留めます。
鼻の穴(梨状口)が、明らかに広すぎたのです。
この墓地から出た、鼻のまわりがよく残っている女性17人の平均が25.4ミリなのに対して、M318は34.35ミリありました。
9ミリ、割合にして3割以上も広い計算になります。
鼻すじを作る左右の鼻骨は、先端側の半分がありません。
残っていたのは左が6.5ミリ、右が9.6ミリだけでした。
決め手になったのは、しかし、骨が失われていたことではありませんでした。
失われた骨の、縁の形です。
骨は、いつ壊れたのかを縁の形で語ります。
死んだあとに土の重みや掘削で欠けた骨は、割れ口が角ばったまま残ります。
ところが生きているあいだに切られた骨は違います。
体が何か月もかけて傷口を作り直し、角の取れた滑らかな縁に変えていくのです。
割れたばかりのガラスの破片は指が切れそうに鋭いのに、波にもまれて浜に打ち上げられたガラスは角が丸くなっています。
骨の縁にも、それに似た差が残ります。
M318の鼻骨の断面も、梨状口のふちも、鼻の中に残った骨も、そろって丸く治っていました。
つまり彼女は、鼻を失った時点では生きていて、そのあとも長く生き続けたということになります。
CTで顔の内側をのぞくと、刃は下から上へ振り上げられた形跡がありました。
削られたのは、外から見える鼻だけではありません。
鼻の中には、吸い込んだ空気を温めたり汚れをこしたりしている「鼻甲介(びこうかい)」という何枚ものひだがありますが、その前の部分までが骨ごと切り取られていたのです。
研究チームは、同じ墓地に葬られた同じくらいの年齢の女性(M75)の頭部も同じようにCTで撮り、並べて比べています。
無傷の顔の横に置くと、彼女の顔の真ん中が、ぽっかりとくぼんでいることがはっきりします。
右の大腿骨を使った放射性炭素年代測定では、亡くなったのは1298年から1404年のあいだと出ました。
元王朝の末から明王朝の初めにあたる時期で、墓の造り自体は元の様式です。
骨盤と頭蓋の特徴から性別は女性、歯のすり減り方や頭蓋の縫合の具合から、亡くなった年齢は40歳から45歳と推定されました。
骨に含まれる炭素と窒素の同位体を調べると、食事はキビなどの雑穀が中心で、肉や魚は多くなかったと考えられます。
当時の庶民の食事の型です。
棺に納められていた副葬品は、頭の左脇に置かれた銅のかんざしが1本きりでした。




























