シーザーやクレオパトラが誇示した貝紫
古代、地中海地域で支配者が重用したティリアンパープル(帝王紫)。
紫色は帝王のための色と呼ばれ、フェニキア人の都市国家「ティルス」で生産されていたことを大プリニウスが『博物誌』の中で書いています。
ティルスの紫色ということからティリアンパープルという呼び名が生まれました。
こうした地域では紫色の染色にアクキガイ科の貝が持つパープル腺とも呼ばれる鰓下線(さいかせん)を使用していました。地中海沿岸地域だけでなく、中南米でも使われていたことがわかっています。
古代の支配者は、その支配力を紫色でも示していました。
有名なのはローマ皇帝シーザーが着用した紫色のマントですが、マケドニアの英雄アレクサンダー大王も、この紫色の衣装に執着したことが、ブルータスの『英雄伝』に見られます。
また、エジプトの女王、クレオパトラはさらにスケールが大きく、シーザー亡きあとアントニウスに呼び寄せられた時は自身が乗る旗艦の帆を紫色に染めさせました。
紫色は大きな帆のように目立てば目立つほど、支配者の権力を誇示することにつながったのです。
ティリアンパープルはアクキガイ科の貝を使って染めるため、貝紫とも呼ばれています。
紫色に染められる貝は何種類もありますが、比較的大きなサイズの貝であっても使えるのは貝の中の鰓下線のみです。この鰓下線に含まれる黄色くネバネバした物質を集めて布を紫色に染めていました。
1個の貝から取れる鰓下線はごくわずかです。
そのため、衣服にする布を濃い紫色に染めるためにはたくさんの貝と多くの人力を必要としました。1gの染料を得るために必要とされた貝は2,000個に及んだと言われます。
貝紫で染めた紫は支配者でなければ手に入れることのできない色だったのです。さらに黄色っぽい鰓下線の液を紫色に発色させるには光線の加減も必要とするものでした。
貝紫の色素はインジゴに臭素置換した 6,6’-ジブロモインジゴである事がわかっています。
そのため、現在では化学合成で貝紫と同じ紫色を染めることができるようになりました。インジゴとは藍染に使う染料の色素で、貝紫と近しいことがわかったのはとても興味深いことです。
しかし、化学合成した6,6’-ジブロモインジゴであっても紫色を思うような色味に発色させることが難しいのは、紫外線と可視光線のスペクトルによっては紫色ではなく、インジゴのような青、もしくは青みを帯びた紫色となってしまうからです。
光線は注意深く調整する必要が実験でもわかっており、古代でもそれは同様だったはずです。
貝紫に使う貝の鰓下線は貝の内臓なので磯臭いものですが、それがどんどん悪臭に変化していきます。
それを大量に準備しなければならないうえ、光にも注意を払う必要がありました。染色作業は不快さも伴う非常に大変なものだったことが想像できます。
貝を採る漁師、鰓下線から染料を作り染色する職人など、紫一色を染めるために動員された人数は支配者のためでなければ準備できなかったことでしょう。
またその染色技術は門外不出で、買い手には支配者であっても知らされませんでした。技術を秘匿し貴重なものにすることで貝紫はさらに高価なものとなったのです。