古代メキシコの人々によって作られたもの?
チームによる詳しい調査の結果、ティカルで見つかった祭壇には、テオティワカンでしかあり得ない数々の証拠が見つかっています。
例えば、祭壇に描かれた図像はティカルのものではなく、明らかにテオティワカンに伝統的な図像のタッチだったのです。
また、パネルに描かれた羽根飾りの図像は、中央メキシコに伝わる”嵐の神(Storm God)”にそっくりだったといいます。
さらに祭壇の近くから緑の黒曜石で作られた投槍の穂先が見つかったのですが、その素材と形状はテオティワカン独自のものでした。
加えて、祭壇の内部に座った姿勢で埋葬された子供の遺骨が見つかりましたが、これもティカルではほぼ見られない埋葬形式であり、テオティワカンでは一般的なものだったのです。
これらの物的証拠から、ティカルの祭壇はテオティワカンからやってきた職人が作った可能性が高いと見られています。

かねてより、ティカルとテオティワカンとの間には交易や文化交流があったことが知られていました。
ただし、両者の交流は常に平和的なものだったわけではありません。
その関係性が一変したとされるのが、西暦378年に起こった「エントラーダ(Entrada)」と呼ばれる事件です。
この年、テオティワカンの高官がティカルに到来し、当時の王を強制的に廃し、自分たちの選んだ新王を勝手に擁立して、傀儡(かいらい)政権を作ったことが石碑に記されています。
そのため、この祭壇が作られた時期はちょうどティカルとテオティワカンの仲が悪かった時期であり、祭壇もテオティワカンの人々によって強制的に作られたのかもしれません。
しかし今回のような古代文明の遺構が良好な保存状態で見つかるのは、非常に貴重なことです。
こうした考古学的遺物の調査から、謎に包まれた過去の人類史もより詳しく明らかになっていくでしょう。