実験室では見えないオキシトシンの本当の姿

大切な人と一緒に過ごす穏やかなひととき、手をつないだり抱き合ったりすると、なんとなく気持ちが落ち着き、幸福感や安心感を覚えた経験がある方は多いのではないでしょうか。
こうした私たちの感情や人間関係を支えているのは、単なる心理的な作用だけでなく、実は体内で分泌されるホルモンにも深い関係があることが知られています。
その代表的なホルモンのひとつが、「オキシトシン」と呼ばれる物質です。
オキシトシンは脳の奥深くにある視床下部という場所で作られ、脳のすぐ下の部分にある下垂体という器官から血液中へと放出されます。
血液や唾液、尿などを通じて全身に巡り、さまざまな生理的、心理的な作用を引き起こします。
このオキシトシンは、人と人とのつながりを深める際に特に重要な役割を果たすため、「絆ホルモン」「愛情ホルモン」などという呼び名がつけられています。
例えば、母親が赤ちゃんを抱きしめるとき、あるいは恋人同士が手をつないだりキスをしたりするときに、このホルモンが多く分泌されることが知られています。
また、性的な興奮や満足感にも深く関わっており、性的な刺激を受けるとオキシトシンの濃度が増えることが研究によって明らかにされています。
さらに、出産や授乳といった生命を育む場面でも、オキシトシンは重要な役割を担っています。
しかし、こうしたオキシトシンの働きに関する多くの知見は、実験室や病院といった人工的で特別な環境の中で行われた研究から得られたものでした。
具体的には、研究室内で被験者に性的な刺激を与えたり、オーガズムの前後でホルモン濃度を測定したりするような方法です。
こうした研究から得られた知識は貴重ですが、どうしても限られた被験者数や特定の集団だけを対象にしているため、日常のリアルな状況からはかけ離れた面がありました。
実際のカップルが普段通りの生活環境で愛し合うとき、オキシトシンがどのように変化するのかについては、これまで十分に調べられてこなかったのです。
一方で近年、「生物学的なシンクロ(同期)」という現象が注目されています。
これは、親密な関係にある二人の間で、生理的な状態やリズムが自然に同調するという現象のことです。
例えば恋人や夫婦などが一緒にいるとき、心拍数や呼吸のリズム、さらにはストレスに関わるホルモンの値までもが似たパターンで変化するということが分かっています。
オキシトシンに関しても同様で、特に母親と赤ちゃん、患者とセラピストといった特別な関係では、二人のオキシトシン濃度が連動して変化することが示されています。
しかし、恋人や夫婦といった大人同士のパートナーが、性的な活動を行ったときにホルモンがシンクロするかどうかを具体的に調べた研究は、これまで行われていませんでした。
これまでにも一部の研究で、カップル同士のオキシトシン濃度を測定して、二人のホルモン値がどの程度関係しているか調べようとした試みはありましたが、その結果ははっきりとしたものではありませんでした。
一部の研究では、パートナー同士のオキシトシン濃度に明確な関連性が見つかりましたが、別の研究では関連が見られないという報告もあり、意見が分かれていたのです。
こうした背景から、オキシトシンの分泌パターンや二人のホルモンのシンクロ現象について、日常生活に近い状況で改めて調べ直す必要が出てきました。
そこで今回の研究チームは、実験室や病院といった人工的環境ではなく、実際のカップルが普段通り生活する自宅という環境の中で、オキシトシンの動きを詳しく追跡するという、これまでにない新しい研究に取り組んだのです。
実際の生活の中で愛し合うカップルがいるとき、二人の体内ではオキシトシンはどのように変化しているのでしょうか?
また、カップル同士のホルモン濃度は、本当にシンクロすることがあるのでしょうか?
そして、オーガズムを経験するかどうかが、このホルモンの変化に何か影響を与えているのでしょうか?