制御不能な世界で「自分だけはコントロールできる」

強い雨が降る中で運転しているとき、私たちは無意識のうちにハンドルをぎゅっと握りしめます。
もちろん、雨を止めることも、風の向きを変えることも、他の車を動かすこともできません。
それでも私たちは「何かしている」という感覚を得るために、コントロールしようとします。
この「握りしめる」という行動は、心理学的には安全や安心を得ようとする防衛本能です。
人は、世界に「予測不可能なこと」や「自分の意思では変えられないこと」が多すぎると、不安を抱きます。
その不安を和らげる手段として、少しでも自分が支配できる範囲を探して、そこにエネルギーを注ぐのです。
過去の研究もこの傾向を裏付けています。
1976年にエレン・ランガーとジュディス・ローディンが行った研究では、老人ホームの入居者に「どこに植物を置くか」「どの食事を選ぶか」といった小さな選択を与えるだけで、身体的健康や寿命に好影響が見られました。
また、1975年の別の研究では、何をやっても報われない状況に置かれた動物は、次第に行動を起こさなくなり、うつ状態に陥ることが明らかになりました。
これは人間にも当てはまり、「何もできない」「どうせ無理だ」と感じると、自尊心が損なわれていきます。
だからこそ、人は「少しでも自分が選べるもの」にすがります。
失恋をして心が乱れているときに、クローゼットを整理したり、SNSの写真を削除したりするのは、その象徴です。

「自分には、まだ決められることがある」
その感覚が、人を前に進ませる原動力になるのです。
一方で、こう自問することは重要です。
「自分は自分が立てた予定やルーティンにとらわれすぎていないだろうか」
「自分を守るためのコントロールが、知らぬ間に自分を縛ってはいないだろうか」
コントロールは両刃の剣です。
適切なコントロールは人生を前向きに進める力となりますが、度を越すと私たち自身を縛る「檻」になってしまいます。
ルールに固執しすぎたり、完璧を求めすぎたりすると、柔軟性を失い、他者とのつながりも損なわれます。
「自分を守るはずのコントロール」が、「自分を孤立させる檻」になるのです。
そのため、コントロールをすべて否定するのではなく、それとの付き合い方を理解し、扱い方に柔軟性を持つことが大切です。
では、どうすればコントロールを上手く活用できるでしょうか。