他者へと記憶を運ぶ物質が存在する
古い生物の教科書には、親の経験は子どもに遺伝しないと書かれています。
しかし近年の生物学の進歩により、マウスなどでは親が受けたストレスが子どものストレス耐性を弱めるといった、経験の遺伝が起きることが明らかになってきました。
一方で、親子関係ではない他者への「記憶転送」に関しては、最近になるまでフィクションの領域にあるとの考えが主流でした。
しかし記憶の転送を示す証拠は一部の研究者たちによって古くから報告され続けていました。
例えば1959年にプラナリアを切断する実験では、頭部を含まないパーツから再生された個体も、切断前の記憶を引き継いでいることが示されています。
また2018年に行われた研究では、学習を終えたウミウシの中枢神経から抽出したRNAを、別のウミウシに注射したところ、記憶も移ることが示されました。
そこで今回、プリンストン大学の研究者たちは線虫を用いて、個体から個体への記憶転送が起きているか、また起きていた場合にはどのようなメカニズムなのかを調べることにしました。
線虫は長年にわたって実験生物として扱われていたため、ショウジョウバエやマウスと同じく、地球上で最も解明が進んだ生物の1つとなっており、記憶転送を解明するモデル生物として最適です。
早速、研究者たちは線虫に「緑膿菌」という菌を与えて学習を行わせました。
緑膿菌は線虫が好むような物質を分泌していますが、食べてしまうと線虫は病気になってしまいます。
そのため緑膿菌を食べて苦しんだ経験のある線虫は、次回以降は緑膿菌を避ける「学習記憶」を持つようになります。
次に研究者たちは学習を終えた線虫を破砕し、破砕液をまだ緑膿菌を食べたことのない線虫たちに注入しました。
すると驚くべきことに、破砕液を与えられた線虫もまた、緑膿菌を避けるようになっていました。
さらに、転送された記憶は受け取った線虫の4世代後の子孫にも受け継がれていることが判明。
この結果は、線虫において個体間の記憶転送が起きているだけでなく、受け取った記憶が親から子への遺伝していることも示します。
そうなると気になってくるのが、記憶転送を担っている物質の存在です。
線虫たちの記憶は、どんな物質によって転送されていたのでしょうか?