サルにはなくヒトだけにある「知恵の実遺伝子」を探索する
ヒトとチンパンジーの遺伝子は極めて似ており、95%程度が一致しているとされています。
しかし遺伝子の類似性にもかかわらず、ヒトとチンパンジーの脳には巨大な差が存在します。
ヒトの脳はチンパンジーに比べて3倍も大きく、脳の細部における細胞の密度や構造にもかなりの隔たりがあるのです。
この著しい差の前では「95%一致」とする結果も、虚しいものになります。
そこで以前から研究者たちは、ヒトとサルの脳を隔てる「知恵の実遺伝子」の探索を熱心に行ってきました。
結果、2020年には知恵の実遺伝子の有力な候補の1つが発見されます。
しかし、この研究による調査では、遺伝子全体の2%のみを占める体の設計図部分をヒトとサルで比較しただけであり、98%を占めるいわゆる「ジャンクDNA」部分は見過ごされていました。
「ジャンクDNA」に存在する遺伝暗号はかつて、何の役にもたたないゴミ情報だと言われてきましたが、近年の遺伝工学の進歩により、ゴミどころか遺伝子発現の制御中枢ではないかと考えられるようになってきています。
そこで今回、ルンド大学の研究者たちは、ヒトとチンパンジーの人工培養脳(脳オルガノイド)を作成し、ジャンクDNAを含めて脳の発達に影響を与える遺伝子を調べる計画を立てました。
ただ生きているヒト胎児やチンパンジー胎児の脳を実験用に使うのは倫理的な問題があるため、実験にあたっては、人工培養されたヒトとチンパンジーの脳(生きている)を、代替品として使用されました。
(※脳オルガノイドは、ヒトとチンパンジーの皮膚細胞をそれぞれリプログラムして万能細胞(iPS細胞)にして、脳細胞へと再変化させることで作られます)
結果、かつて「ジャンクDNA」と呼ばれていた領域に存在する反復配列(VNTR)によって制御される転写因子「ZNF558」が、ヒトの脳オルガノイドで活発に働いている一方で、チンパンジーの脳オルガノイドでは活性がみられないと判明します。
またZNF558の脳細胞での役割を調べたところ、ZNF558の活性は脳細胞のミトコンドリアを増やす効果があると判明します。
2020年に行われた研究では、エネルギー発生装置であるミトコンドリア増加は、大きな脳を維持するのに役立つことが示唆されています。
そのため研究者たちは「知恵の実遺伝子」の効果を確かめるため、人工培養脳を使った実証実験に移ります。
その方法とはヒトから「知恵の実遺伝子」のスイッチとなりえる転写因子「ZNF558」を削る、という内容でした。