なぜ視線を動かさないのか
これについて、研究主任のイルマ・コノバロワ(Irma Konovalova)氏は、「儀礼的無関心(civil inattention)」という現象を反映している可能性が高いと指摘します。
儀礼的無関心とは、見知らぬ人同士が互いの存在を認めながらも、儀礼的に無関心を装う行動です。
たとえば、エレベーターの中で赤の他人と乗り合わせたとき、自分の存在をアピールせず、かつ「あなたのことも気にしてませんよ」と装うことがあるでしょう。
他人にジロジロ見られることは心理的なストレスとなりますが、それを互いに回避する行動、これが儀礼的無関心です。
学生たちは、まさにこの行動を取っていたと予想できます。
特に、SADスコアの高い学生は、スコアの低い学生に比べて、他人を見つめる時間も短く、ほとんどキョロキョロしない上に、視線の移動範囲も狭いことが分かっています。
これは、視線の動きを抑制することで社会的な不安に対処しているからだと考えられます。





























納得できる記事だった
小さい頃からキョロキョロせずに、なにか危険がありそうなものが近づいても平静を装ってた
見ることで相手が自分に関心を向けて近づいてくる可能性を消したい
めっちゃ同意。昔から知らない人間に絡まれやすかったり謎にガン見されたりが多くて結果的に人が居る方に目線を配らなくなった。知り合いでも目を合わせるのが怖い瞬間がある
キョロキョロさせたくなければ、不安をかければいいのだな
つまりは周りを見まくれば、みんなキョロキョロしなくなる
みんなキョロキョロしないということは、全体的には不安になりにくくなるので
社会不安が低くなり、キョロキョロする奴が出てくる。
そういうやつは、キョロキョロしないやつを作り出してるし
生み出されている
キョロキョロすることで逆に物怖じしてなさを強調することってあると思う。脳天気で頭空っぽなヤツの演技とか、部屋に上がり込んできた刑事とかヤクザとか。
まあ古典的ですよね
自分もこれあったな。周りの目を異常に気にしてしまってた頃は視界を自分で無意識に狭めてた気がする。
でも、周りの目をあまり気にしなくなってからは世界の観察が楽しくなって、これまで気づかなかったことにも興味が湧いて、今まで周りを見なかったことを激しく後悔している。