孤独が社会を攻撃する理由

興味深いことに、孤独による「炎症反応」は個人の体内にとどまらず、社会という有機体にも起こり得ると考えられています。
ハンナ・アーレントは著書『全体主義の起源』(1951年)で、孤独こそが全体主義、すなわち極端な権威主義を生み出す温床になると指摘しました。
彼女によれば、人々が孤立し、互いへの信頼や共通の現実感覚を失った社会では、極端なイデオロギーに染まりやすくなるといいます。
事実が見えにくい状況下で、現状への怒りと不安のみを共有する「怒れる群衆」が生じたとき、権威主義的な指導者が付け込む余地が生まれるのです。
こうした大衆は互いに連帯する絆を持たないため、差別や憎悪といった負の感情による疑似的な連帯、アーレントの言う「否定的連帯」に飛びつきやすくなります。
アーレントはまた、「事実と虚構、真実と偽りの区別がつかなくなった人々」こそが全体主義の格好の支配対象になると警告しました。
彼女は戦後の混乱期だけでなく、大量消費社会や情報社会が進んだ現代においても、共有される現実が失われ孤独が蔓延すれば同じ危険が訪れると予見しています。
近年の社会心理学調査もこの洞察を裏付ける傾向を示しています。
孤独な人ほど他者への不信感を募らせやすく、怒りやすいと報告されており、陰謀論や排外的な主張に脆弱になりがちなことが指摘されています。
2021年のRAND研究所の調査(※レポート名未公表)では、孤独感の強い人の方が過激主義団体に勧誘されるリスクが高い可能性が示唆されました。
またオランダの研究チームによる国際比較研究でも、社会的孤独感が強い地域ほどポピュリズム、すなわち急進右翼政党への支持が高い傾向が確認されています。
これらはまだ因果関係を直接証明したわけではありませんが、孤独と政治的過激化との間に強い相関があることは確かです。
私たちの周囲でも、孤独が社会における「炎症」を引き起こしているかのような兆候が見受けられます。
SNS上での誹謗中傷の蔓延や、あちこちで噴出する怒りや陰謀論は、一人ひとりが孤立し苛立ちを募らせた結果、社会全体が慢性的な緊張状態に陥っている証拠かもしれません。
実際、対面での人付き合いが減少し孤独を感じる人が増えるにつれ、不安や抑うつがかつてない規模で広がっています。
その一方で左右の政治的対立が先鋭化し、民主主義の機能不全が進行しているとの指摘もあります。
まさに「孤独は社会の結合組織を炎症で蝕み、民主社会という身体の免疫系を弱体化させる」と言えるでしょう。
その結果、社会は分断と怒りに満ち、権威主義的な主張や強権的なリーダーが支持を集めやすくなるのです。