私たちが見ている世界は幻想なのか?

今回の研究は、私たちが普段あたりまえに持っている「観察すれば何でも理解できる」という直感に対して、大きな疑問符を突きつけました。
観察にはどうやら、乗り越えられない壁が存在するようだというのが、この研究から得られた重要なメッセージです。
私たちは科学を進める上で、観察や実験を何よりも信頼してきました。
その信頼の背景には、「自然が隠している情報も、観察技術が進歩すればいつかは明らかになる」という暗黙の期待がありました。
ところが、この研究が示したのは、たとえ最新鋭の装置を使い、究極の計算力を駆使しても、自然の持つ情報のすべてを取り出せるとは限らない、という驚くべき現実です。
これは単なる技術的な限界ではありません。
量子の世界では、情報が猛烈な勢いで混ざり合うため、どんなに鋭い「観察の目」を向けても、その情報は一瞬で散り散りになり、解析や学びが難しくなるのです。
では、このような「観察の限界」が存在するとしたら、私たちにどんな影響をもたらすのでしょうか。
まず一つは、量子コンピューターの研究にとって非常に重要な示唆です。
今回の成果は、「量子コンピューターさえあれば、あらゆる量子の謎が解けるだろう」という万能的な期待に対して、冷静な現実的視点を与えるものでした。
実際、物質の量子状態の相を判別するような一見単純な課題であっても、特定の条件下では量子コンピューターでも実用的に解けないほど複雑になる可能性があることを示しています。
このため量子計算の分野では、どのような課題が「絶対に効率よく解けない問題」なのかを明確にし、それを回避する戦略を立てることが今後の焦点となるでしょう。
さらに、この研究結果は哲学や基礎物理学にも深い示唆を与えます。
私たち人間が世界を観察し、理解し尽くすことが本当に可能なのか――という根源的な問いにまで踏み込むものだからです。
これはちょうど、特殊相対性理論が「光速という速度の限界」を示したように、本研究は「観察による理解の限界」を具体例を通して明らかにした理論的成果だと言えるでしょう。
原理的な壁がどこにあるのかを知ることは、科学の地図に「ここから先は未知の領域」という境界線を描くことに似ています。
私たちが日常で観察する現象の多くは、この壁に阻まれないでしょう。
それでも、人類の知の冒険において、この発見は忘れがたい意味を持っています。
もしかすると私たちが見ていると思っている世界は、観察という限られた現象が引き起こしたエコーのようなものなのかもしれません。



























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そりゃ〜そうさ。人間同士の争いも解決出来ない人間が、自然現象である宇宙を理解する事なんか出来やしない。何故なら、人間も宇宙の一部だからだ。
暗号にそれ使えば量子コンピューター全盛になっても安心ですね。
読んでて途中から(これもう哲学だろ…)って思ってたら哲学だった
ゲーデルの不完全性定理が脳裏をよぎりました。
不確定性原理?
コペンハーゲン解釈とか、量子の世界ではある意味正しいとか?
「自然の持つ情報のすべてを取り出せるとは限らない」って部分の内容を、日本語で紹介してほしかった
光の速度を越える観測分解能を獲得すれば行ける
それを獲得する事が不可能であるという事が判明したという記事なのですよ。
「万物の理論」は数式や公理だけで構築できないことが論証された
https://nazology.kusuguru.co.jp/archives/184497
この話に繋がりそうでワクワクが止まらない
今も 赤外線カメラで発光体を観察してます 確かに観察で見える動きは理解できません 物質を通過してます
日本文化はもうすでに、西洋のような「観察からの仮説による人間の限界」を理解しており、偶然を上手く取り入れて、「人間の限界を超える法則」を手中に収めているから。
逆説的な視点だけど、考えを止めた(観察しない)すき間に起こる出来事に、当人の無意識が反映されるため、リバースエンジニアリング的な手法で、その人の問題点や未来を予測する手法まである。
今は、占いと呼ばれるが、ここをもっと掘り下げたら、宇宙の原理が見えてくるんだけど、頭の硬いエンジニア達には難しいんだろうな…
斜め上の話題で全然関係ないエンジニア達にマウント取りに行くのおもしろ
かなりいい
確かに、占いに独特の偏差があることは体験的に分かるが、コレを確率論的に証明するのと、(確率論の教義や信念に逆行するようだから困難かもしれないが)確率論側から歩み寄る占いというアプローチの活用の仕方があれば良いけれど、、、難しいんじゃないか?
単に、「自分自身の心は何もかも知っている」という内的な気づきのようなアプローチや、いわゆる降霊術的アプローチに近いニュアンスを感じるが、むしろ、それをエンジニアがエンジニアリングして活用してもらうことを祈る方があり方として正しいんじゃないか?エンジニアはこの分野において上に立つだろうし、そのエンジニアが有用に直感的なアプローチ(つまり、偶然出たものが真相を表すというランダム性を偶然が覆すようなアプローチ)を開発するとしたら、面白いんじゃないなとは思う。
ただ、そういった直感的なアプローチ(非観察的アプローチ)は、占いのように「ある意味、理屈をこねて、うがった見方をして、理解を深める」ような点があるのだから、確率論側から歩み寄って頂かない限り、適切なアプローチは出来ないんじゃないか。それと、研究分析の根本原理の「二重盲検アプローチ」のような「観測効果をできる限り排除しようとする姿勢」そのものをエクスポートに内在する現行の研究姿勢で、この話は活かせないんじゃないか?と思った。
逆に占い師側が、科学的アプローチや統計的アプローチを十分に理解してシミュレーションを組んでも面白いけど、恣意的な占い師が多い昨今において、そんなアカデミックで公平であろうとする占い師は居ないんじゃないか?
……そこまでいうのは、言いすぎかしら?
いやいや、説明してくれていいよ。その、宇宙の原理が掘り下げた結果出せて、物理的にも正しいとされるなら
ノーベル賞どころじゃないかもしれないし。
説明できないのはなぜか、それはエンジニアの理解力のせいにされても、しったこっちゃない。
占いというけど、エンジニアに無視されてるだけだよ。
社会的に説明可能な意味のある科学に、正当とできる経済性もあるため、政府が推奨「できる」
推奨「してもいい」。税金の無駄にならないと「される」内容の科学に、占いが自然とはじかれてるだけ
占いを避けてるわけでもなくても、結果的に避けていいことが【自然に】成立している。
つまり、無視されているだけだ。占いは結果的に、信じなくてもいいだけだ
それをパスカルの深淵と言う
100%の確率では1+1=2ではないというだけでは。
何事も100%の状態で決まっているわけではないというだけなので、
確率的にこれぐらいの割合で決まっている、とかで記述できれば、
そこからその事象はある程度の予測ができるわけで、それで十分では。
時々計算ミスするけどほぼあっていて実用性にたるならそれで十分。
われわれが認知する現象は観察によるもので、人が創り上げた世界。宇宙が創り上げた生命の人類の神経系が及ぶ範囲でしか科学も及ばないし、そこから生まれた物理科学でしか解明、活用はできない。多次元、並行世界など全ての時空の流れは複雑に絡み合い、人が存在する時空には限界があります。何を現実と定義するのでしょうか?
われわれが認知する現象は観察によるもので、人が創り上げた世界。宇宙が創り上げた生命の人類の神経系が及ぶ範囲でしか科学も及ばないし認知はできない。何を現実と定義するのでしょうか?
遥か昔から観測出来ないモノは推論で対応してきたし
時間はかかっても人の知欲に世界は食い尽くされるよ
推論はどこまで行っても推論に過ぎないから、どれだけ時間をかけたところで世界を食い尽くす事が出来たかどうかは判らないままです。
観測の限界があるという物理的現象の内容を説明してほしいのだけど
総じて、「観測の限界があるとされた、その解明がありましたよ」という紹介に見えるのは気のせいか
それをもとに、これが本当なら、ああではないかこうではないか
という構成
そもそも、解明の内容を説得力のある形で物理現象の説明としてほしいのだけれど
量子力学は非決定論的非局所実在論です!観測などただの条件付き確率です。
の不確定性原理が、そもそも観測に限界があるってことですよね。
それが「原理」ではなく、理論的に導ける定理みたいなものになったってこと?
記事では「量子コンピュータに未知の状態を与え、相を当てる」モデル系を立てて、それが量子もつれのせいで計算爆発すると言っています。
とするとその結論から言えることは「量子計算機でも解きがたい問題がある」と言っているにすぎないと思います。記事の3ページ目は、その成果の展望を盛りすぎてるように見えます。
(レガシーな経産技術で、対称性を利用して計算量を減らす高速フーリエ変換があるように)量子論的な計算においても、計算アルゴリズムの方略や問題設定の仕方で、どの程度計算量が圧縮できるかに興味があります