宇宙が存在するならあるはずの非対称が「ない」
こうした話を背景に、スイスのジュネーヴ近郊にあるセルン(欧州合同素粒子原子核研究機構)で BASE プロジェクトが行われました。BASE とは、“Baryon-Antibaryon Symmetry Experiment”の略です。つまり、バリオンと反バリオンの対称性を調べる実験なのです。
具体的には、陽子と反陽子の磁気モーメントを非常に精密に計測して、差異があるかどうかを調べます。もし差が発見出来れば、この宇宙に反物質がほとんどなく、物質ばかりであることの説明がつくわけです。
すると反陽子の磁気モーメントが、これまでにない精度で計測されます。反陽子がほとんど存在しないことを考えれば、これはものすごい偉業なのです。ところがその結果として、陽子と反陽子の磁気モーメントの間に差異が発見されませんでした。
セルンのクリスチャン・スモラ教授は、「反物質の計測が、ここまで精密に出来たということは、セルンの反陽子減速器の驚異的な威力を物語るものです」と話しています。
この反陽子減速器というのは、陽子シンクロトロンで粒子を衝突させて出来た反粒子を捕捉し、BASE プロジェクトのような実験用に保存しておく装置です。
反物質というのは、観測することも計測することも非常に困難なものです。反物質が普通の物質と出会うと消滅してしまいます。ですから、反陽子をたくさん集めてフラスコに入れて重さを量る、というわけにはいかないのです。そのため、先ずは、真空中で磁力を使い、反物質を普通の物質から隔離しておかなければなりません。反物質の研究は、この隔離からスタートするのです。
今度の研究でも、磁力で隔離するシステムを作るのに多くの時間がかかりました。システムに少しでも穴があれば反物質は漏れて消滅してしまいます。しかも、完璧なシステムは不可能です。どのくらい長く隔離しておけるか、が問題なのです。研究者たちは、何年も研究を重ねて、隔離しておける時間を、ジリジリと長くしていきました。
今度の研究結果は、ネイチャー誌の10月18号に掲載されたのですが、それによりますと、405日間も隔離するのに成功したそうです。これに使われたのは“低温冷却ぺニングトラップ”という方法で、それを二重に組み合わせて隔離システムを完成させました。この方法で、最長記録を更新して、405日間隔離することが出来たのです。この反物質に磁場を作用させ、粒子のスピンを量子跳躍させました。その結果、驚くべき精度で磁気モーメントを計測することに成功したのです。
彼らが得た反陽子の磁気モーメントは -2.792847344142 μN でした。μN は核磁子と呼ばれる物理定数です。ちなみに、陽子の磁気モーメントは 2.7928473509 μN で、2つの“数”はほとんど一致しています。最後のほうの不一致は観測誤差の範囲内なのです。つまり、もし陽子と反陽子の間で磁気モーメントに差異があるのなら、それは現在の計測範囲よりも小さい、ということなのです。
そんなに小さい差異が存在するのでしょうか。
スモラ教授は次のように言っています。「我々の計測結果で、物質と反物質は完全に対称であることが確認されました。これでは、宇宙が存在しないことになります。宇宙が存在するからには、どこかに非対称があるのです。それがどこにあるのかは分かりません」
現在は、BASE プロジェクトで、さらに精度を上げる研究が行われています。それでも対称であるならば、どこか他のところに非対称を探さなければなりません。
この世界の在り方については、「宇宙全体が二次元平面に保存された情報の投影である」とする「ホログラフィック原理」や、有名起業家イーロン・マスクも支持する「シミュレーション仮説」など、枚挙に暇がありません。ただそれゆえに、宇宙誕生の謎が解かれるのはまだ先のこととなりそうです。
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