「感情」を嫌悪する時代
まき じゃあ、3つ目の時代性というのは?
星乃 今って、『天気の子』でも問題になっていた「社会的正しさ」が重要視されて、「社会的正しさ」を振りかざす不謹慎厨なんかが流行っていますよね。私は、これって「自己」の価値よりも「他者」の価値が高くなっている時代とも言えるんじゃないかと思うんですね。
まき 自己よりも他者の時代ですか?そういえば、今若者の自己肯定感は日本は最低レベルって言われているし、自己主張が激しいのはカッコ悪い、「自分軸で生きるのは自分勝手」みたいな風潮になってますね。
星乃 例えば、2018年に実施された13歳から29歳の若者を対象とした内閣府の「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」では、「人に迷惑をかけなければ何をしようと個人の自由だ」という質問に対して、アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・韓国などは8割近くの若者が「そう思う」「どちらかといえばそう思う」と答えているのに、日本人では約4割に留まっています。
まき 現代の日本人はかなり他人に気を使わないとなにか支障が出るという不安が強いということなんですかね。そういう無意識の空気感みたいなものがあるからこそ、自分勝手な買い占めは許せないとなっちゃうわけですね。
星乃 そうですね。実は、日本社会はずっと「他者の時代」だったわけじゃなくて、いろいろと変化してきているんです。『天気の子』の記事でも引用させて頂いた社会学者の宮台真司さんは、戦後から1960年までが封建的な「秩序の時代」で、1960年から1970年代半ばまでが、科学がすべての問題を解決してくれるんじゃないかっていう希望をみんなが抱いていた「未来の時代」、そして70年代半ば以降が個人個人が自分の自我を維持することを追求する「自己の時代」と言っているんですよね。
まき へー、日本人の意識ってそんなに変わってきているんだ。確かに、アニメやミュージシャンなどを思い返しても、90年代は、恋愛や熱血、感情表現とかがカッコいいとされてた気がします。改めて考えると、いつのまにこんなに雰囲気が変わってしまったんだと驚きますね。そうすると、他者の時代は2000年代に入ってからですかね。
星乃 そうですね、私は2000年代初頭からだと思っています。90年代末は、浜崎あゆみとか椎名林檎など、自分の内面に奥深く入ることや、感情表現、自己表現がカッコいいとされていましたが、2000年代に入って、理性や科学的知識、他者や社会全体の考えを重要視する雰囲気に変わってきましたよね。
まき たしかに。そういえば先日「“「萌え」の時代から「推し」の時代へ”について」ってブログ記事を見かけたんですが、春井さんは「萌え」ってご存知ですか?
星乃 はい、知ってますよ。女の子のアニメキャラに対して、「かわいい」「好き」のような感情を持つことですよね?
まき …本当はもっとドロドロしている気もしますが、とりあえずそれでOKです(笑)。それが最近オタクの間では使われなくなってきて、今は「推し」という言葉が流行っているんですよ。「推し」というのは、あるキャラや人物のことを応援しているみたいな意味なんですが、これって、今春井さんが話したこととめちゃめちゃ関係ありそうなんです。
星乃 「萌え」と「推し」がですか?
まき はい。「萌え」は自分の「かわいい・好き」という感情を表す言葉で、「推し」は自分が「応援している」という行動を表す言葉だと考えれば、やはりオタクの間でも、2000年代初頭までは感情を表す「萌え」が流行っていたけれども、今は自分の感情を表すことがカッコ悪いことになり、他者から見た行動を表す「推し」という言葉が使われるようになったのではないかと。
星乃 なるほど! オタク界でも、自己と他者の時代性が表れているんですね。
まき オタク界隈にまで影響が及ぶってスゴイですよね。まあそんな時代だから、なおさら自分勝手な人は嫌われるのか。